北村からのメッセージ

 第93回(9月1日) 五輪に2つの感動 西アフリカの急ぎ旅

 史上最多202の国と地域が参加して、古代五輪発祥の地・ギリシャで、アテネ五輪が開かれ、私は2つの深い感動を覚えました。1つは若手演出家が開会式で、ギリシャ神話から21世紀の現代までの壮大な人類絵巻を見事に描き切ったことです。もう1つは興奮のるつぼと化したメーンスタジアムで観衆7万人と1万を超える選手が躍動する姿を見て、昨秋総選挙の感激が二重映しに思い出されたことです。あの日、私に投票して下さった10万人の長崎4区の皆様が、仮に1堂に会したなら「この巨大スタジアムにも入りきれず、場外には支援の声がこだましただろう」と私は感じました。その感動で、政治家として国民の生活を守る責任の重さを身が震えるほど感得し、皆様から信託を受けた崇高な使命を達成するには、今後益々研鑽を積まなければならないと心に誓いました。その手始めにアフリカ西部を旅し、途上国の実態、経済協力の在り方など外交の課題を探って参ります。


 参加国15倍、選手40倍

 古代五輪は、紀元前8世紀から紀元後4世紀まで12世紀も続き、五輪会期中は戦いを止め、男性が全裸で走り、槍や円盤を投げ、格闘技に興じ、つかの間の平和を楽しんだといいます。第1回近代五輪は、仏のクーベルタン男爵の提唱で、1896年にギリシャで開催されました。14の国・地域から男子選手だけ241人が参加し、陸上、体操、レスリングなど8競技43種目が行われました。それからわずか108年の間に、参加国・地域は15倍、選手は40倍以上に膨れ上がり、うち女性が4割(日本は男性を上回った)を占めるようになりました。しかし、五輪の願いも空しく、わずか1世紀の間に悲惨な第1次、第2次世界大戦が起こり、今もなお地域紛争、民族紛争が絶え間なく続いています。平和の祭典が進行中でもイラクでは、米軍の空爆など戦闘が継続されました。民族間の利害対立、文明の衝突ほど恐ろしいものはなく、人類の業の深さには失望を禁じ得ません。


 民族興亡の歴史絵巻
 
バルカン半島の南東部に本土があり、クレタ島などエーゲ海に浮かぶ大小の島々からなるギリシャは、古代からアラブ世界に版図を広げた欧州文明の源泉の国でした。だが、紀元前2世紀にローマの属領とされ、その後2千年もの間、ビサンチン、オスマントルコ両帝国の支配下に置かれ、1829年の独立戦争を経てようやくトルコから独立しました。こうした民族興亡の歴史を開会式のアトラクションは壮大な絵巻で描きました。その中では国家の独立を維持することがいかに難しいか、政治家にとって国民の生命財産を守ることがいかに重大な使命であるかを、絵巻は物語っていたように思います。それだけにギリシャ国民のアテネ五輪にかける情熱と誇りは相当なものでした。私は今、女性選手の大活躍で日本にメダルラッシュをもたらしたアテネ五輪を観賞したい気持ちを抑えて、前号の予告通り、8月22日から9月3日まで、初めてアフリカ西部4カ国を歴訪しています。
訪問国の概要と主なスケジュールは次の通りです。<概要は共同通信社の2004年版「世界年鑑」を参照しました。>


 西部4カ国は日本友好国
 
 アフリカは地中海、紅海、インド洋、大西洋に囲まれ、彼方に南極海を望むアジアに次ぐ世界第2の大陸。面積は日本の約80倍、53の独立国があり、総人口は約8億811万人を数えます。主峰キリマンジャロ(5895メートル)や白ナイル源流のビクトリア湖、サバンナの猛獣など壮大な自然は、故・いかりや長介さんが魅せられて何度も通ったといわれています。私もアフリカ旅行は多年の念願でした。アフリカ全土のHIV(エイズ)感染者は2500〜2820万人に上り、死者が毎年220万〜240万人に達し、最貧国が多く見られます。民族間対立によるクーデターや内紛も後を断ちません。しかし、私が訪問したセネガル、ギニア、モーリタニア、マリの西部4カ国は、政情がかなり安定しているのでご心配なく。いずれも1世紀前にフランスの植民地支配を受け、1960年前後に独立した共和制の国で、日本が有償、無償の経済協力を行っている友好国です。


 ゴレ島は奴隷貿易の拠点

 【セネガル】歌の文句の「ここは地の果てアルジェリア」南方のサハラ砂漠を横切って砂漠西南端の大西洋に辿り着くのが首都ダカール。視察日程に入っているダカール沖のゴレ島は、奴隷貿易の拠点とされ、ブッシュ米大統領が昨年夏、アフリカ5カ国を歴訪した際、冒頭に立ち寄り、「歴史上、最も重大な犯罪の1つ」と奴隷制度批判の演説をした島です。14〜16世紀にウオロフ人のジョロフ王国がありましたが、1895年にフランスが仏領西アフリカ連邦を形成し、ダカールを中心地としました。従って、今回の旅もダカールが起点となり、ダカール空港から各国の往復に飛び立ちました。セネガルが独立したのは1960年6月で、ワッド現大統領(民主党党首)は2000年に当選。01年1月、新憲法案を国民投票で承認、大統領の任期を7年から5年に短縮、上院を廃止して1院政とし、国民議会の議席を140から120に削減するなど、小泉首相に劣らぬ政治改革を断行しています。


 2度来日のワッド大統領

 ワッド大統領は昨年5月と9月に来日して小泉首相と会談。02年度までの無償資金協力は832億円、有償資金協力は178億8400万円、技術協力は208億8200万円に達しています。従って同国の視察では経済協力で建設(あるいは建設中)した給水塔、保健社会開発学校、職業訓練センターなどとゴレ島を視察しました。02年度の対日輸出はマグロ、タコなど水産物1127万ドルが最も多く輸入は船舶など1903万ドル。在留邦人は175人です。産業は漁業のほか落花生など農業、リン鉱石など鉱業が盛んです。


 逆に大統領任期を延長

 【ギニア】大西洋岸で高温多湿の熱帯性気候。18世紀のベウル人国家は、19世紀にフランスの植民地となり、セネガルより2年早い1958年10月のフランス第5共和制国民投票で、海外領土中唯一のフランス共同体を離脱し、独立しました。93年の大統領選で統一前進党のコンテ党首が当選、96年に軍の1部が反乱し、約50人死亡しましたが、クーデターは未遂に終わり、コンテ氏は98年の大統領選で再選。01年の国民投票でセネガルとは逆に大統領任期を5年から7年に延長、1回限りだった再選出馬の制限と65歳の年齢制限も撤廃させ、昨年末の大統領選で3選を果たしました。02年度までの日本の有償資金協力は160億1000万円、無償資金協力は371億円、技術協力実績は46億5600万円、02年の対日輸出は、埋蔵量が世界の3分の1を占めるボーキサイトなど57万ドル、輸入は自動車、鉄鋼など1996万ドル。同国では日本の経済協力で建てた小学校、ブルビネ漁港などを視察しました。


 昔はアラブ人が遊牧生活

 【モーリタニア・イスラム共和国】地理的、政治的にはアラブ・アフリカとサハラ砂漠以南のアフリカ中間の位置。国土の3分の2が砂漠で高温乾燥の地です。15世紀ごろまでベルベル人、アラブ人が遊牧生活を送り、その後、欧州人が入植して1903年にフランス領。60年11月に独立しました。同国には80年に公式廃止されるまで、奴隷制度が存続していました。78年の無血クーデターで国家再建軍事委員会が全権を掌握。次いで84年の無血クーデターでタヤ前首相が大統領に就任、その後92年、97年、02年の選挙でもタヤ大統領が当選、今も20年の長期政権を誇っています。昨年6月8日に軍部クーデターが発生、反乱軍兵士が大統領府を占拠しましたが、政府軍が翌日奪回し、タヤ大統領はクーナ首相を解任、奴隷階級出身のムバレック法相を後任の首相に指名しました。
 

 最近クーデター未遂で逮捕

 このようにモーリタニアにはクーデターが多く、AFP伝が伝えた首都ヌアクショットの複数の筋によると、「8月9日朝、クーデター計画の容疑を受けた20人以上の将校・文民が逮捕された。このグループは昨年6月のクーデター未遂の首謀者と連携しつつ、無政府状態を引き起こすために、ヌアクショット市内で無差別大量虐殺を行い、政権を奪取する計画に関与していた。逮捕者の数人はイスラム過激派に近い関係にあった」と物騒な同国の情勢を報じました。現地紙も「タヤ大統領暗殺計画失敗に終わる」と報道、強力に武装した兵士が発電所などを警戒している模様ですが、我々はそうした事態を恐れず、予定通り同国を訪問しました。同国は非同盟中立路線を堅持、5年前にアラブ連盟加盟国としてはエジプト、ヨルダンに次いで3番目にイスラエルと国交を樹立したため、これに抗議するイラクとは外交関係を断絶しています。02年の対日輸出はタコ、イカなど水産物や鉄鉱石4215万ドル、輸入は自動車など1772万ドルです。当地でも経済援助で建てた魚市場や国立博物館などを視察しました。


 10年ぶり政権復帰の大統領

 【マリ】内陸国で北部はサハラ砂漠の1部、高温乾燥の地。6〜10月が雨期ですが年間降雨量は100ミリ以下。11世紀までガーナ帝国が支配した後、マリ帝国が栄え、1590〜1870年までモロッコが支配しました。その後フランスの植民地となり、仏領スーダンと呼ばれました。1959年にセネガルとマリ連邦を結成、60年8月にセネガルが分離して単独で独立。モデイボ・ケイタ氏が初代大統領に就任しましたが、トラオレ中尉のクーデターでケイタ大統領は追放され、10年間の軍政の後、トラオレ氏が信任投票で大統領に当選。民主化運動が高まった91年、アマドウ・トウマニ・トウーレ中尉率いる軍がトラオレ氏を逮捕、同中尉は人民救済暫定委員会議長(国家元首)に就任しました。翌年4月の大統領選で民主同盟のコナレ党首が当選、軍政に終止符を打ちました。コナレ氏は97年の大統領選でも圧勝、再選されましたが、02年4月の大統領選では過半数を獲得した候補者がおらず、5月にトウーレ元議長と与党・民主同盟のシセ元蔵相が決選投票を行った結果、トウーレ氏が当選、10年ぶりに大統領として政権の座に復帰しました。


 アフリカ3位の金産出国

 外交面では非同盟ですが欧米やアラブ諸国と協調。中国との結びつきも重視しています。フランスにいるマリ人移民は約12万人で、うち60%が不法滞在者であるため、シラク仏大統領が昨年10月にマリを訪問し、不法移民の斡旋業者を摘発するよう要請しましたが、トウーレ現大統領は、出稼ぎ労働者からの送金の重要性を理由に拒絶しています。南アフリカ、ガーナに次ぐアフリカ3位の金生産国で、主な産業は金、リン鉱石など鉱業と綿花、落花生など農業。02年の対日輸出は綿花など53万ドル、輸入は自動車など567万ドルです。首都バコマ市内では経済協力で建てた給水塔などを視察しました。


  【アフリカ訪問の主なスケジュールは次の通り】

 ダカール中継し近隣国往復

* 22日午前11時25分成田発の日航機でパリに飛び、1泊。

* 23日夕、エアフランス機でパリ発(過酷なパリーダカ−ル レースと違って、わずか3時間45分で)セネガルの首都ダカール着。

* 24日朝、ワッド大統領と会談後、ギニアの首都コナクリへ空路移動(1時間15分)

* 25日朝、コンテ大統領、サンバレ国民議会議長、コンデ外相、デイアロ協力相と会談。同夕サンバレ議長主催カクテルパーティ(人民宮殿)後、邦人の経済協力関係者と懇談。

* 26日朝、経済協力案件の小学校やブルビネ漁港を視察。同日夜、空路ダカールに帰着。

* 27日朝、セネガルのデイオップ国民議会議長、ガッジョ外相ら要人と会談後、経済協力案件の国立保健社会開発学校、日本職業訓練センター視察、午後はゴレ島など市内視察。

* 28日もダカール市内のタイバンジャイ村給水塔や村落開発、カイヤール水産センターなど経済協力案件を視察。同日夜遅くモーリタニアの首都ヌアクショットへ空路移動。

* 29日朝、モーリタニアのタヤ大統領、ムバレック首相、サレー国民議会議長らと会談。午後は経済協力案件のヌアクショット魚市場や国立博物館を視察。

* 30日朝、ダカールを経由し、隣国マリの首都バマコへ空路移動。中島大使と夕食懇談。

* 31日朝、トウーレ大統領、マイガ首相、ウアンヌ外相、ケイタ国民議会議長ら要人と会談。午後はバマコ市内の給水塔など経済協力案件を視察。同夜11時バマコ発のエアーフランス機で機内泊。

* 9月1日早朝にパリ着後、昼は平林駐仏大使と懇談、同夜8時パリ発の日航機で機内泊。

* 2日午後2時半成田着。

 以上のようなハードスケジュールですが、本稿がホームページに掲載される頃は、元気いっぱい赤道直下の旅を終え、帰国の途上にあるところです。帰国後は選挙区の皆様に真っ先に帰朝報告をしたいと考えておりますので、どうぞご期待下さい。