北村からのメッセージ

 

 第8回 二十世紀の回顧(12月16日) 長崎原爆に3つのIf

 激動の二十世紀に間もなく幕が降りようとしています。科学万能、物質文明、繁栄と貧困、環境破壊、スポーツ隆盛、女性躍進、等々波乱万丈の世紀でした。この中で最も特筆すべきは戦争・動乱の世紀といえるでしょう。前半は帝国主義の列強が植民地支配に狂奔した世界戦争の世紀です。日清戦争10年後に日露戦争(1904年)が勃発、その後は第一次世界大戦 (14年)、満洲事変(31年)を経て長期の日中戦争。第二次世界大戦(39年)に日本も独、伊の枢軸国に加わって参戦(41年)、惨めな敗戦(45年)を迎えました。

 第二次大戦では、長崎原爆で10万人、広島原爆で22万人、東京大空襲で10万人以上、米軍の沖縄本島上陸戦で20万人の犠牲者を出し、旧満洲など外地での犠牲を合わせると日本の軍人や軍属、民間人の戦没者は約 310万人を数えています。さらにアジア全体では推定2000万人の犠牲者が出たといわれています。

 私は被爆地長崎の近くで生を受け、幼児から戦争の悲惨さ、平和の貴さを肌身に感じて育ってきました。そして、日本軍閥がポツダム宣言を無視し、宣言受託のご聖断を遅らせた結果が広島、長崎の原爆投下とソ連の参戦に繋がったことを無念に思い、強い憤りを感じています。二度と過ちを繰り返さないためには、文民統制がいかに大切であるか。私は中央政界入りと同時に、ためらわず衆院の安保対策、内閣、災害特別委に所属しました。

 16日に「13ディーズ」という映画が日米同時に封切られました。この映画は62年に起きたキューバ危機回避の息詰まるドラマです。米国の喉元・キューバに米北部を標的としたソ連の核兵器が配備されたことを偵察機で知った米軍部は、ミサイル基地に先制空爆を計画。ジョン・F・ケネディ米大統領も、当初は軍部の求めに応じ、海上封鎖でソ連の兵器輸送船団を威嚇したが、ソ連も直ちに停船には応じず、第3次世界大戦突入の最大危機を招いた。この危機を弱冠45歳の米大統領は、弟で史上最年少のロバート・F・ケネディ司法長官(36)、ケネス・オドネル大統領特別補佐官(38)と組み、わずか3人の若手政治家の手で基地攻撃に逸る軍部を抑え、フルフチョフ・ソ連首相との13日間にわたる不眠不休の外交折衝の結果、キューバのミサイル撤去に成功したーーという手に汗握るサスペンス映画でした。

 映画では海上封鎖で睨み合う米ソ艦船と、ソ連輸送船の真下でぴたりと護衛するソ連潜水艦の不気味な光景を見事に映し出していました。これを見て私は11月末に成立した船舶検査活動法の審議を思い起こしました。衆院安保対策委では、検査に従わない船舶に警告射撃を認めるかどうかが争点となりました。憲法が禁じる武力行使に繋がる恐れがあったからです。船舶検査はキューバ危機同様、一触即発の危険を伴うだけに、海上臨検で武力衝突が起きた場合、自衛隊員の生命や艦船に被害が生じ兼ねない。この点に関し、私は絶えず慎重意見を展開しました。<別ページの 3.北村の政治活動(国会質疑)第2回 11月14日の衆院安全保障委員会 {船舶検査法案で要点突く} を参照>
同法は結局、国連安保理決議を検査の条件とするなどで民社党の賛成も得て成立しました。

 「13ディーズ」が見せたように二十世紀には、世界人類滅亡の危機がありました。地球上には今、2万個近い核兵器があります。広島、長崎に落とされたピカドンは1万2千度で太陽の表面温度の2倍の熱量でしたが、現在の原爆、水爆は広島の比ではありません。      キューバの海上封鎖で米ソ2大陣営が激突し、どちらかが先に核ボタンを押し報復攻撃が始まっていたら、全面核戦争に突入し先進国の人類は滅亡していたでしょう。この危機は米ソ両首脳のぎりぎりの話し合いで回避されましたが、戦中の日本はどうだったか。

 日本にも民族壊滅の危機がありました。そして、長崎の原爆投下には3つの要因がありました。時事通信記者が最近出した「ニュース・エジェンシー(通信社)」という本に広島、長崎原爆投下に至る日本軍閥の無能ぶりが描かれています。それは、「無条件降伏のポツダム宣言を軍部が無視(イグナー)した」ことを同盟通信社(共同・時事の前身)が外電で報じ、大手新聞社もこぞって軍部に協力して「撃ちてし止まん」の戦意高揚の報道を続けたため、トルーマン米大統領が「原爆投下やむなし」の決断を下したというものです。それを待ってソ連は日本に参戦しました。

 さらに、文春の新年特別号には共同通信記者が書いた「長崎原爆の投下は米軍部の独走によるもので、トルーマン大統領は事前に知らされていなかった」という憂うべき記事が掲載されています。 多大な戦禍を憂慮された昭和天皇は、御前会議でポツダム宣言受託のご決意を固めておられたと言われます。長崎の原爆は、当初狙った小倉上空の視界が悪く、急遽長崎に変更されたものです。そこで 1.暴走する軍部が天皇のご聖断を遅らせなかったら 2.天候が違っていたら 3.米大統領の軍部統制が完璧であったならーー
の3つのifが起きていたら、長崎は被爆地にならず貴い犠牲を出さずに済んだでしょう。

 しかも軍部は、原爆投下後も本土決戦を主張し、終戦を告げる『耐えがたきを耐え』の玉音放送の録音盤を青年将校が奪取しようとさえしました。奪われていれば戦争は直ちに終結できず、日本列島は焦土と化し、国民の多くは徹底交戦と自決で国家体制は崩壊していたでしょう。また、ソ連軍が怒濤のごとく北海道を占領、朝鮮半島と同様、分断国家が生まれていたかも知れません。

 東条英機ら軍閥は日本を破滅の淵に追いやり、片やケネディは核戦争を救いました。文民統制がいかに重要であるか。歴史が証明しています。文民統制は自衛隊法の根幹であり、      
私が精力的に安保に取り組む理由はここにあります。歴史に「たら、れば」のifは通用しませんが、明治維新後の立憲政治が言論の自由を保障し軍部独裁を排除していたら、天皇の統帥権を盾に軍部が虚偽の戦果を報じた「大本営発表」もなく、日本の姿は大きく変わっていたでしょう。二十世紀を回想するうえで、正しい情報の収集と伝達、軍部を抑える政治の力と政党の役割は大きい。これらは歴史の歯車を動かす二大要素といえます。

 二十世紀の世界戦争は、過激な社会主義者を革命に追いやり、熱烈な民族主義者を独裁政治に駆り立てました。レーニン、スターリン(露)、毛沢東(中)らが前者であり、ヒトラー(独)、ムソリーニ(伊)、東条英機(日)、フセイン(イラク)らが後者です。独裁者たちは、思想、民族の対立を底流に世界の覇権を目指し総力戦の全体戦争を指揮しました。   しかし、日露戦争後にロシア革命を、第二次大戦後に中国革命を起こした共産主義のリーダーたちは既に世を去り、革命の中身も時代とともに変節しています。とくに冷戦崩壊後は、世界のイデオロギー的対立が急速に薄れ、グローバルな経済・金融を軸とした新たな国際環境のもとで、資本主義、社会主義ともに修正の道を歩み出しています。

 しかし、人類がいかなる進歩を遂げても、自ら国を守る気概と節度ある防衛力の整備は怠るわけにはいきません。祖国の平和、独立を維持し、国民の生命、財産を守り抜くことは国家的責務であります。戦前は軍港、現在も米軍、自衛隊基地を抱える佐世保・県北の代表として、私は民族の存亡にかかわる安保問題、地元の基地対策と取り組むことに崇高な使命を感じています。今後とも更なるご支援をお願い申し上げます。