北村からのメッセージ

 

 第58回(2月 1日) テレビ50周年の明暗 佐世保に風雲児


歌舞伎400年、黒船来航150年、政治の55年体制崩壊後10年――。今年は何かと節目の多い年のようです。中でもテレビは、1953年2月1日にNHKが本放送を開始してから50年。12月からは東京、大阪、名古屋の一部で地上波テレビのデジタル放送がスタートを切る記念の年です。第2世代の携帯電話でテレビ映像を受信する時代もすぐ来そうです。わが選挙区・佐世保ではテレ・ショッピングで身を起こし、わずか10数年の間に年商を1万倍に拡大した時代の風雲児が現れました。しかし、故・大宅壮一氏が「一億総白痴化」と喝破したように、相変わらずの視聴率競争に明け暮れるテレビ界では、大衆迎合の低俗番組が氾濫、そのせいか「劇場型犯罪」が世にはびこるなど、子女の教育に悪影響を与えています。一方ではブラウン管を最大に活用する「テレ・ポリティックス」やテレビ映りのよさを気にする「テレジェニック」など大衆人気ばかり気遣う政治家が多数輩出、そのニーズに応え、政治的公平、中立性を逸脱した報道番組が幅を利かすなど、多くの問題を抱えています。今回はそれらの問題を皆さんと一緒に検証しましょう。

 年末に地上波デジタル

故・高柳健次郎氏発明のテレビ映像であるカタカナの「イ」の文字が無線で送信できたのは昭和初期。その後の第2次大戦で開発は中断されましたが、ようやく53年2月1日にNHKが本放送を開始、1日4時間の放送で受信料は月2百円でした。民放の日本テレビも同時に開局、翌年には力道山とシャープ兄弟のプロレス人気で街頭テレビが湧きました。私は小学校の低学年でしたが、生まれ故郷の離島・長崎県小値賀町にはまだ1台もなかった頃のことです。58年にNHKの受信契約数は100万を突破、59年の皇太子(現天皇)ご成婚ブームで一気に300万を超え、62年には1000万の大台に乗りました。60年開始のカラー放送も64年の東京五輪で火がつき、71年に契約1000万を超え、75年に2000万を突破、テレビの広告収入が新聞を追い抜きました。NHKが89年に本放送に移行した衛星放送も順調で、93年に契約500万を突破、2000年には1000万に達し、BSデジタル放送が開始されました。今年末からは地上波デジタル放送が3大都市で始まります。

 視聴率競争で低俗化

テレビは多チャンネル・多機能化によってますます隆盛を極めています。初期は“魔法のからくり箱”と茶化され、「スーパーマン」など海外ドラマが主役でしたが、NHKの大河ドラマ「太閤記」、朝の連続テレビ小説「おしん」、美空ひばり、石原裕次郎らの歌謡ショウなど自前の娯楽番組が続々制作され、あっという間に茶の間を席捲していきました。同時に民放は放映時間を全日(午前6−翌午前0時)、プライム(午後7−11時)、ゴールデン(同7−10時)、ノンプライム(全日からプライムを除く)に分け、CM収入を増やすため、ビデオリサーチなどによる視聴率競争に走りました。この結果、「テレビ亡国論」が囁かれるほど大衆人気に憂き身をやつし、番組の低俗化が進みました。落ち目だった漫才のブームにも火を付け、漫才、落語のタレントが今も数多く報道番組の司会者にまで進出しています。テレビを支配しているのは視聴率を稼げるタレント約50人程度です。

今も一億総白痴化

タレント御殿が建つほどで、これを民放が奪い合い、時には録画の関係で同一のタレントが民放2局に同時出演するというみっともない事態が生じており、最近はNHKまでが外部タレントに依存しています。大宅氏の発言は、テレビ開始5年目の57年に、「何でもやりましょう」という民放番組で、応募の出演者が大学野球の早慶戦に駆り出され、早稲田の応援席で慶応の旗を振り、その騒ぎを面白おかしく放映したことに怒ったものです。「視覚の刺激度だけを追っていくと、人間の最も卑しい興味をつつく方向に傾いていく」と大宅氏は嘆き、テレビの「一億総白痴化」に警鐘を鳴らしました。この傾向は今も変わっていません。「面白くなければテレビでない」をスローガンに掲げる民放が今でもあり、やらせ番組や「突撃リポーター」などプライバシーを平気で侵害する番組が後を絶ちません。15秒のスポット広告でも奇抜なアイデアを競い合い、骸骨がフラダンスを踊るようなグロテスクな映像が食事時に流されるなど、文化国家にあるまじきCMが氾濫しています。

暴力もテレビで不感症

教養番組には「世界遺産」「不思議発見」など私の好きな優れた番組もありますが、教養に名を借りた風俗ルポなどセックス本意の深夜番組や暴力シーンの多い娯楽番組が茶の間に溢れ、青少年の健全育成を阻んでいます。最近も「親父狩り」と称して中・高校生によるホームレス老人の殺害が多発したり、女子中学生が「妊娠した」と援助交際相手の若い会社員から数百万円を脅し取ったり、仲間の携帯電話を壊した女子中学生が「体で賠償しろ」と仲間に見張り突きで援助交際を強要されるなど、ローティーンの犯罪が凶悪化しています。暴力、殺人の多いドラマやテレビゲームに幼児から不感症になっていることが影響しているといえましょう。制作経費を浮かすため女子高校生を深夜番組に起用したり、「ジャリタレント」を盛んに売り出して軽薄な番組を提供していることも、教育をゆがめています。安上がりにスカウト出来るせいか「モーニング娘」などは絶えずメンバーが素人に入れ替わって芸能界の登竜門と化し、伝統的な芸を磨く宝塚少女歌劇のスターたちを嘆かせています。

醜聞、煽動番組に狂奔

キー局下請けの中小プロには、受験地獄の進学を嫌って派手な映像の世界へ憧れ、各種学校で映像技術などを身につけた若者が多く、ワイドショウ制作では報道の倫理、真実の報道と縁遠い娯楽優先のスキャンダラスでセンセーショナルな番組づくりに狂奔してきた実態もあります。CS、BS、デジタル化などで多チャンネル化が進むとさらに制作が追いつかず、番組の貧困化が問題になります。政府は今国会に教育基本法改正案や出会い系サイト規制法案を提出する予定ですが、青少年の健全育成には、教育よりもテレビが煽る履き違えた自由主義、誤った個人主義を改め、幼児から公序良俗を徹底的に教え込む番組への改善・充実の方が先決でしょう。

 問題多い報道番組

テレビは映像と音響を伴うだけに事件の報道は迫力があります。カラー放送開始の60年には、浅沼稲次郎・社会党委員長刺殺事件の映像が茶の間に衝撃を与えましたが、63年の日米衛星中継初日の実験中にケネディ米大統領暗殺の映像が飛び込み、国民は驚愕しました。その後も72年の浅間山荘事件の長時間生中継、85年の御巣鷹山・日航機墜落事故の生存者救出中継、93年の湾岸戦争でのピンポイント爆撃中継、01年9月の米国同時多発テロの自爆機激突生中継、02年の瀋陽総領事館亡命未遂事件の中継など、臨場感に溢れる映像がリアルタイムで放映され、国民の関心はいやが上にも高まりました。報道番組は、80年の「報道特集」(TBS)を皮切りに各局に登場しましたが、TBSの「オウム・ビデオ事件」、テレビ朝日の「椿報道局長の発言事件」など報道機関にあるまじき事件が多発、経営トップが引責辞任しました。96年のオウム・ビデオ事件は、末放送の坂本堤弁護士のインタビュー映像をオウム側に見せ、行方不明の坂本一家が公開捜査になっても、オウム来社の事実を公表せず、警察にも通報しなかったことが、オウム側を増長させ、同弁護士の口を封じるための殺害事件に発展したとして、批判されたものです。

民主主義の根幹揺るがす

テレビ朝日の事件は93年10月の産経新聞に「細川政権を生み出した原動力はテレビだった」「細川政権は久米宏、田原総一朗の連立政権だ、と書かれ感慨深かった」などと、民放連でしゃべった椿報道局長のおごり発言がスクープされた事件です。55年体制の崩壊を促したのはテレビの力だとする椿発言に、激高した自民党は椿氏を国会の証人喚問に呼び出し、「荒唐無稽な発言だった」と陳謝させました。産経は社説で「報道機関は国政の重要な判断材料を提供する役割を担っているが、特定な意図で政治的に不公平な報道が行われたとするなら、国民の知る権利に奉仕するどころか、世論操作に繋がり、民主主義全体の根幹を揺るがす」と非難しました。あれから10年が経過しました。

テレビ映りと効果に腐心

新聞界の政治ジャーナリストは「10年経ってもテレビのおごりはちっとも変わっていない。くだんの司会者は、先週も他国の首脳を馬鹿だの狂人だといってすぐ『差別用語でした』と謝ったり、各党の若手代議士を集めて校長先生ぶったり、各党の幹事長には用意したテレビのテロップ通りに発言しないと、ムキになって発言を誘導するなど、やっていることは相変わらずだ。“電気紙芝居”屋の域を出ていない」と手厳しく批判しています。最近では政治のワイドショウ化が進み、各党の若手政治家を指南役のハマコーさんが叱る「たけしのTVタックル」などの番組も人気があるようですが、真剣に政策論争を闘わせる政治番組がもっとほしいものです。テレジェニック、テレポリティックスは、故・ケネディ米大統領が新機軸を打ち出したものですが、テレビ映りや映像効果を意識する点では小泉首相も負けてはいません。ライオンヘヤーがトレードマークの首相は、歴代首相が嫌った総理番記者のぶら下がり取材をまとめて1日に2回、テレビ会見に応じるなど大サービス。

中立公正、不偏不党に期待

世論が最大の味方の首相は『改革なくして景気回復なし』『聖域なき構造改革』に代表されるキャッチフレーズをテレビで繰り返し、『ワンフレーズ(ひと言)政治』と揶揄されていますが、テレビだけでは意を尽くせないと思ってか、首相は約10分間の「ラジオ演説」を原則月2回放送することを決めました。「小泉内閣メールマガジン(メルマガ)」以来の新たなメディア戦略です。このように政治とテレビなど放送メディアの結びつきは益々強固になっていますが、総選挙近しの政局の中で、報道機関が中立公正、不偏不党の姿勢を貫くことを強く期待するとともに、地上波デジタルなど、新時代テレビの隆盛を祈りたいと思っているところです。

年商を1万倍に拡大を

こうしたテレビ界にあって、映像を駆使したテレショッピングで企業を拡大した時代の寵児が佐世保市にいます。「ジャパネットたかた」社長の高田明氏(54)です。民放テレビの正月番組で「僅か6、7年の間に年商約600万円の事業を600億円と1万倍に拡大した男」と紹介されましたが、それはオーバーな表現としても、92年に14億5千万円だった年間売上高は5年後の97年には10倍の148億7千万円、99年はその倍以上の347億2千万円、02年は621億円が売り上げ目標と言いますから、10数年前の会社設立時に年商650万円の商いだったとすれば、確かに1万倍の急成長といえます。高田社長は長崎・平戸市出身で48年(昭和23年)生まれというから、私より1歳若い気鋭の経営者。71年に大阪経済大卒後、阪村機械製作所に入社し、ドイツなど欧州勤務1年を経て74年に家業の「(有)たかたカメラ」入社。86年に佐世保市に「(株)たかた」を設立。90年にラジオの通販開始。94年にテレビ通販開始。96年に『ジャパネットたかた』と社名変更。社員5、6人で始めたカメラショップは今や資本金1億円、従業員291人(男子110、女子123、パート・アルバイト58)の中堅企業に成長しました。

 一期一会の精神

ラジオショッピングの誘いを受けたのが社業拡大のきっかけで、正月番組によると短期間に2万円のカメラが50台も売れたことから、高田氏は「テレビならもっと売れる」と思い、CS(通信衛星)のテレショッピングと本格的の取り組み、カメラだけでなく、OA・映像・音響機器、家電、電子文具と次第に取り扱い商品を増やし、今ではスポーツ用品、宝飾品、健康食品、健康器具、寝具、生活雑貨まで手広く扱う通信販売業に成長させました。販路もテレビ、ラジオから新聞チラシ、カタログ、インターネットなど多彩なメディアに広げ、全国展開しています。商品を厳選し、紹介、受注、発注、発送、アフターサービスに至るまで、全てを行う自社一貫主義の会社です。『一期一会の精神を大切に。夢を実現する暮らしのお手伝い』が高田社長のモットーで、顧客一人一人との出会いを大切にし、「全国から寄せられる多様なご要望(注文)と熱い期待に応えるため」、01年2月に大規模な物流センターと受注センターを備えた新社屋を新設、さらに自社テレビスタジオ「ジャパネットスタジオ242」を開設、CSデジタル放送で佐世保から直接日本全国へテレビ放送を始めました。

 八面六臂の大活躍

 高田社長の生活は超多忙で、経営会議の最中でも出番が来るとスタジオに飛び込み、自らぶっつけ本番で顧客に語りかけ、放映後は順番待ちの全国のメーカーと応接、仕入れ商品を決めたり、商品開発を討議したり、まさに八面六臂の大活躍です。スタジオでは、長崎訛りの簡潔な話法が『テレビ露天商的な高田話法』と評判になっています。この姿を見ると、司馬遼太郎の名作『菜の花の沖』を思い出します。主人公は高田社長と同姓の高田嘉兵衛。江戸末期に淡路島の貧しい家に生まれた嘉兵衛は、蝦夷地(北海道)から加工ニシン、鮭、昆布などを運ぶ北前船の回船問屋を起こし、千島列島まで雄飛して巨大の富を築いて偉大な商人に成長しました。間宮林蔵の樺太探検と同時期に国後、択捉、歯舞諸島で活躍しており、高田はいわば北方領土の元祖といえる人物です。高田社長もメディアミックス時代に先駆け、カメラ店を一大ベンチャー企業に育て上げた元祖であり、猛者といえましょう。私も離島振興のため、光ファイバーを敷設して、遠隔診療、教育施設の向上などIT(情報技術)のメディアを駆使した施策を実現しようと取り組んでいますが、高田社長の経営方針は大変参考になると思っています。