第165回(10月1日)福田政権が船出 日本初の親子宰相
 安倍首相の唐突な退陣に伴う自民党総裁選は、福田康夫元官房長官が麻生太郎幹事長を大差で破り、9月25日の首相指名選挙で第91代首相に選ばれました。党3役は伊吹文明文部科学相を幹事長に、谷垣禎一元財務相を政調会長に起用、二階俊博総務会長を再任。翌日の組閣では町村信孝外相を官房長官に、その後任に高村正彦防衛相を横滑りさせ、額賀福志郎財務相、舛添要一厚生労働相ら安倍内閣17閣僚のうち13人を再任。ほとんどの派閥領袖を党・閣内に取り込むなど「全員野球」の体制を固めました。臨時国会は10月1日の首相所信表明演説から与野党攻防が再燃しますが、民主党が参院第1党のねじれ国会であるため野党は対決姿勢を強め、福田丸の船出は冒頭から波高しです。私は衆院テロ対策特別委員会の委員として今国会の焦点であるテロ特措法の延長に全力を挙げています。調整型の福田首相登板で年内解散は遠のく感じですが、来年の通常国会冒頭か予算成立後の解散・総選挙は必至の情勢。常在戦場です。皆さんのご支援をお願い申し上げます。

地方で善戦の麻生幹事長
 自民党総裁選は9月23日の両院議員総会で行われ、福田氏が330票、麻生氏が197票を獲得し、福田氏は有効投票527票(無効票1)の過半数を66票上回り第22代総裁に選ばれました。総裁任期は安倍氏の残り期間の09年9月まで。議員票の内訳は福田氏が254票、麻生氏が132票でした。各都道府県連が党員・党友による予備選などをもとに事前に決めた地方代表(3人)の票の配分は、福田氏が76票、麻生氏が65票。群馬、埼玉、広島、鹿児島など26道府県で福田氏が勝ち、東京、神奈川、福岡、大分など21都府県は麻生氏が抑えました。朝日新聞によると、予備選を行った35都道府県では、麻生氏の得票が計約25万3千票で、福田氏の計25万票を僅かに上回っています。01年4月の総裁選では「自民党をぶっこわす」と小泉純一郎氏が叫んで風を起こし予備選で圧勝。議員投票にも影響を及ぼして勝利をつかみました。今回も任期満了の総裁選で正規に予備選を全国規模で実施していれば、麻生氏が逆転勝利していたかも分かりません。

党員の絶妙なバランス感覚
 「得票数をご覧になってどう思われたか。派閥の数合わせでなかったことが証明されたんじゃないか」――。新総裁に選ばれた福田氏は23日夕の記者会見で、マスコミが流した「派閥談合」批判を意識し、苦笑しつつこう語りました。安倍氏の辞任表明を受けた12日夕、我が古賀派は総会を開き会長の古賀誠元幹事長が総裁選対応の一任を取り付け、その直後から谷垣氏、山崎拓前副総裁と連絡を取り合い、町村派が擁立した福田氏を支持する古賀、谷垣、山崎“3派連合”をいち早く立ち上げました。これに伊吹、島津、二階、高村の4派が相乗りし、瞬く間に麻生氏包囲網の福田支援8派体制が出来上がりました。マスコミは「勝ち馬に乗る体質の現れ」「派閥談合だ」「古い自民党の復活」と批判を繰り広げました。しかし、麻生氏が健闘した結果、地方代表の票は僅か11票差に縮まり、福田氏の議員票は、支持を表明した8派閥の計302人を50人近く下回り、麻生氏獲得の議員票は、事前予想より80人近くも上回りました。首相が指摘したように、派閥の締め付けは昔ほどでなく、党員が絶妙なバランス感覚を示したことが投票に反映されました。

論戦意識し小幅入れ替え
 福田氏は25日の国会で首相指名を受け、戦後29人目、日本初の「親子宰相」に選ばれました。参院は民主党の小沢一郎代表を首相に選出、逆転ねじれの「07年体制」を象徴する光景を国民に印象づけました。首相は直ちに組閣工作に入り、女房役の官房長官に町村外相を横滑りさせ、その後任に高村防衛相を、後任防衛相に2度目の石破茂元防衛長官を、幹事長に就任した伊吹文科相の後任には新人の渡海紀三朗党政調会長代理を起用しました。総裁選で善戦した麻生氏にも入閣を打診しましたが、麻生氏は要職を歴任してきたことを理由に固辞し、代わりに総裁選で自らを支持した鳩山邦夫法相(津島派)と甘利明経産相(山崎派)の再任を求めました。この結果、安倍内閣17閣僚のうち、再任13人、ポスト変更2人、新任2人の小幅な入れ替えとなりました。これは「必要最小限にして、厳しい国会を成功に導くため」と町村官房長官が説明したように、「脱安倍カラー」よりも、国会会期中で論戦に即戦力が望まれること、既に来年度予算の編成期に入っていること、入念な「身体検査」を行うには時間的余裕がないこと、などに配慮したものです。

「背水の陣内閣」と命名
 第1次佐藤内閣も昭和39年11月に池田内閣から禅譲され、池田路線を踏襲するため、副総理格の河野一郎国務相、椎名悦三郎外相、田中角栄蔵相、愛知揆一文相、石田博英労相ら全閣僚を留任させ、鈴木善幸官房長官だけを橋本登美三郎氏に代えて半年間も政権を担当しました。今回はそれに似ており、本格的改造は年明けの1月か、通常国会終了後になると思われます。首相は組閣後の記者会見で、「一歩でも間違えば政権を失う可能性がある」として、自らの内閣を「背水の陣内閣」と命名。「若者には希望を、お年寄りには安心を」というキャッチフレーズのもとに、当面の最大課題であるテロ特措法の延長や都市と地方の格差解消に全力を挙げ、国民の信頼回復に乗り出す決意を表明しました。解散・総選挙の時期については、「まずは今国会を無事に運営することが中心だ。基本的な問題を言えば、国民生活に悪い影響を与えてはいけない」と述べ、来年度予算成立のメドがつくまで解散は考えない意向を示唆しました。

成果多く残した安倍前首相
 「この1カ月、体調が悪化し続け、体力に限界を感じ、首相の責任を全う出来ないと決断した」――。安倍氏は退陣前夜、慶応大病院で記者会見し、辞任決断の最大の理由が健康問題であったことを認め、「所信表明直後の最悪のタイミングで辞任を表明し、国民に多大な迷惑をかけた」と陳謝しました。巷間伝えられた麻生幹事長(当時)らによる「クーデター」説は「全く違う」と否定しました。5キロも痩せ、やつれた表情で力ない声の会見は痛々しい限り。「小泉改革の継承者」を自認する安倍氏は、「美しい国日本」「戦後レジームからの脱却」を唱え、憲法改正や伝統・文化を尊重する教育再生など国家の役割と理念を重んじる政策を実現しようとする新保守主義者でした。在任丁度1年間に、改憲手続きの国民投票法、防衛庁「省」昇格法、年金改革法、教育基本法と国家公務員法の改正などの重要法案を成立させ、右派政権としては誇るべき多くの成果を上げました。集団的自衛権の有識者懇談会を設置し、地球温暖化対策の「美しい星50」も発表しました。

小泉「負の遺産」で選挙惨敗
 しかし、2月以降は年金記録問題、閣僚の相次ぐ「政治とカネ」の不始末などの対応に追われ、政権発足当時63〜70%もあった内閣支持率は20%台に急落、先の参院選では小泉改革の「負の遺産」である格差問題に有効な手が打てず、1人区を中心に惨敗しました。小泉流の「官邸主導」を真似て、若く親しい仲間を官邸に集め、首相補佐官を増やして「チーム安倍」体制を作ったことも「お友達内閣」の批判を浴びて裏目に出ました。小泉政権は「小さな政府」「官から民へ」の構造改革を掲げ、不良債権撲滅と公共事業の大幅削減という大胆な荒療治で「失われた10年」の経済危機を切り抜け、国民に「郵政改革」を問いかけた2年前の総選挙で大勝しました。とはいえ、小泉流市場原理優先の新自由主義路線は破綻しかけ、小泉構造改革の影の部分である中央と地方、勝者と弱者間の格差、雇用の不平等など社会の亀裂、ひずみが国民の政治不信を高めています。

調整型、リベラル外交に期待
 安倍氏が再チャレンジ精神を訴え、年金制度の改革や談合防止の天下り規制策などを打ち出しても「時既に遅し」で、参院選では期待された「選挙の顔」にもなれず、惨敗を喫しました。本来なら環境問題をテーマに来年洞爺湖で開くサミットは、安倍氏がホスト役でした。温暖化問題の国連ハイレベル会合の晴れ舞台では、首相特使の森喜朗元首相が演説しましたが安倍氏は断腸の思いでこれを見守ったことでしょう。自民党は昔から、選挙大敗で首相が退陣する場合は「振り子の理論」で、個性や政策が対照的なリーダーに首をすげ替えて、いわゆる「疑似政権交代」を行ってきました。そこへ行くと福田氏は、強烈な個性とパフォーマンスで「劇場型政治」を演じた小泉氏や国家主義的な新保守政治家の安倍氏と違って、協調・融和路線で1289日という歴代最長の官房長官を務めた調整型の政治家です。中韓両国との関係修復に腐心してきた外交リベラル派の権威でもあります。東京や大阪などの街頭演説に大勢の人が集まりましたが、国民の期待は大きいようです。

古賀選対委員長の使命重大
 党3役人事で福田首相は、総裁選で貢献した古賀氏を当初は総務会長に起用する腹でしたが、古賀氏が「選挙対策をやらせて欲しい」と申し出たため、二階氏は総務会長再任とし、古賀氏を選挙対策委員長に任命。「総裁直属」機関の党4役に格上げ処遇し、本来は幹事長が統括してきた選挙の権限を選対委員長に移しました。安倍内閣では選挙を取り仕切る総務局長を選挙対策総局長に引き上げたばかりですが、さらに権限が強化され古賀氏は公認権と選挙の采配権に深く関与することになります。郵政造反の復党組と刺客で当選した小泉チルドレンとの公認問題をどう扱うか、参院選で敗北した1人区の農民層や建設業の組織票を如何に再興するか。解散近い政局の中で、古賀委員長の使命は極めて重大です。