北村からのメッセージ

 

 第1回(平成12年8月29日)

  長崎の鐘を世界に乱打

 残暑お見舞い申し上げます。皆様の絶大なご支援を賜り初当選して以来、早くも2カ月が経ちました。あの日の感動を胸に、激動の国政に立ち向かう傍ら、“金帰火来”で選挙区を回り、お礼と国会報告を続けておりますが、なかなか全地区を1巡出来ません。

 そこで、ネット愛好者の皆様には、ホームぺージを通じ近況を報告させて頂きます。

 皆様ご承知の通り、は衆院の無所属会派「21世紀クラブ」に属し、目下、来年度予算の概算要求と取り組んでおります。21世紀のへき頭を飾る来年度予算は、景気浮揚はもとより、IT(情報技術)革命の推進、環境対策、高齢化対応、都市基盤整備の4分野を「日本新生プラン」の柱に据えております。IT革命で重要なのは、中央と地方、年収・年代別に生ずるデジタル・デバイド(情報格差)をどう解消するかにあります。

 21世紀クラブは地方の情報格差を効果的に解消するため、真剣に対応策を検討しております。

 今気掛かりなのは、中国海軍の情報収集艦などが日本沿岸 200海里の排他的経済水域で航行を繰り返していることです。これは尖閣諸島の領有権問題を念頭に置いた中国側の示威航行とも見られます。自民党は、中国が初の特別円借款 172億円の供与を受ける直前に示した刺激的行動であるとして反発を強め、河野洋平外相の訪中に先立つ24日の党外交部会で問題になりました。この事態が波静かな東支那海や玄海灘に波及すれば、佐世保漁協にも重大な影響を及ぼします。経済水域問題も21世紀クラブの重要な討議テーマです。

 ところで、我々が7月6日に結成した21世紀クラブは、「反執行部の準与党? 加藤、山崎派の別動体? 新党結成?」などの見出しでマスコミに賑々しく報道されました。確かに、我々は総選挙で自民党員として当然、山崎、加藤、江藤・亀井派などからバックアップされており、本来なら従来の慣例に従い、当選後は直ちに追加公認を受けて自民党に入党するのが筋でした。その意味で自民派閥の別動体の見方は正しいかも知れません。

 では、なぜ院内会派を結成したか。我々は自民党内の候補者調整で、党執行部から『次回は小選挙区で立候補のコスタリカ方式を約束するから、今回は比例選に転出してほしい』と求められました。我々はこれに反発して無所属で立ち当選してきた一騎当千の“侍集団”であります。自民党の古い体質に風穴を開け、新世紀の礎を築く先兵を自認しております。 しかし、自公保連立政権を重視する自民執行部は、公明、保守両党との選挙協力を優先して理不尽にも自民の新人台頭を抑え付けたうえ『選挙協力方針に反して無所属出馬した議員の入党はありえない』と宣言、自民の長期低落よりも連立政権の信義を守りました。

 そうなると、国会活動を進めるうえで、院内交渉団体の条件を満たす別の院内会派を結成せざるを得ません。やむなく2期先輩の山本幸三氏(福岡11区=加藤系)を代表に、1期先輩の森田健作氏(東京4区=山崎系)を幹事長とする衆院議員10人の21世紀クラブを発足させた次第です。お陰で自民党所属の新人では到底望めないはずの委員会の初質問にも登板し、長崎県の大先輩、虎島和夫防衛庁長官と議論する機会にも恵まれました。

 当クラブの結成と同じ日に、自民執行部の党運営に批判的な田中真紀子、渡辺嘉美氏ら二世議員を中心とする若手集団「自民党の明日を創る会」(代表世話人・石原伸晃氏=44人で構成)が発足。これに対抗する形で旧小渕派の鈴木宗男前官房副長官らが研究グループを結成するなど、自民党内は“政局秋の陣”に向けて揺れております。

 親しい政治記者は『失言の多い森首相の人気は低迷するばかりで、秋以降何が起きるか分からない。場合によっては来夏に衆参ダブル選挙も予想される。過去の歴史を見ても10人の政治集団は政局のキャスティングボードを握ってきた。21世紀クラブは政局転換の起爆剤になってほしい』と激励してくれています。21世紀クラブは、こうした情勢を踏まえつつ慎重な運営に徹し、新世紀の政治のあるべき姿を描きたいと思っています。

 新世紀の青空に向けて佐世保の、日本の、そして世界の平和と繁栄を祈る“長崎の鐘”を、北村は乱打して行きたいと念願しております。HPを読んだご感想、ご激励、さらには国政に反映させたいご要望があればどしどしメールして下さい。皆様のご健勝を祈ると同時に、どうぞ今後とも強力なご支援をお願い申し上げ、近況報告とさせて頂きます。


   2.北村発=政治の課題(8月29日=第1回)


 災害対策奉仕の自衛隊

 紺碧の空。マリンブルーの海。湧き立つ入道雲がなければ水平線の分岐、色分けすら定かではない。海底でマグマが暴れているとは想像もつかないほど平和な南海の光景だーー。衆院災害特別、建設両委員会の合同調査団(約40人)に加わり、8月22日に日帰りで、伊豆諸島の三宅、神津、新島の火山災害を視察してきた。


 午前8時過ぎ、衆議院からバスで東京湾横断道路(愛称は海蛍)を通り、陸上自衛隊木更津駐屯地で大型ヘリコプターに乗り換え、まずは三宅島へ飛んだ。18日午後5時過ぎ、三宅島雄山の頂きが再噴火した際には、噴煙が火口から約8000メートル(過去最高は3000メートル)の上空に達し、全島が降灰に埋まったという。その時の模様を各紙はカラー写真入りで報道した。黒い噴煙のきのこ雲を突き破って、巨大な水蒸気の柱が焼夷弾のように天を刺す。報道写真は、まるで長崎原爆か水爆の炸裂を思わす惨状だった。

 ヘリが三宅島に近づくと、のどかな南海に一条の噴煙が立ち上ぼる。灰白色の噴煙は依然として1800メートルにも達していた。東京都は羽田との間に1日4便運行していた三宅島空港を再噴火と同時に閉鎖、22日に再開する予定だった。だが、我々が到着する直前、気象庁がこの噴煙を危険と観測し、都は同空港の閉鎖を継続すると発表した。火山噴火予知連絡会も21日、「今後も18日と同規模の噴火が繰り返される可能性あり」と警告した。

 ヘリが同空港に舞い降りた時、降灰の除去作業は相当進んでいたが、ヘリのプロペラが滑走路脇の降灰を巻き上げ、猛烈な粉塵は地吹雪のように視界を暗くした。18日の噴火では直径5センチ程度の噴石が三宅島の東と西側の集落周辺にまで達し、党内全域が降り積もる約20センチの火山灰で埋め尽くされ、真っ暗になったという。

 「南の島に雪が降る」は、南海の戦線で望郷の念にかられた将兵たちが雪に見立てた紙吹雪を撒いて喜ぶ物語だった。ところが、三宅島に降ったのは灰白色の薄汚い雪である。私の県議時代は、長崎の雲仙普賢岳が噴火し、その災害対策に腐心した思い出がある。火山灰の泥流ほど怖いものはない。しかも台風シーズンである。三宅島は泥流対策に本腰を入れ、住民がスコップでトタン屋根の灰を下ろすなど全島挙げて火山灰取り除き作業に従事した。その結果、最後まで避難勧告が出されていた島西部の伊ケ谷地区の 125世帯、約 260人の避難勧告と、都道の通行止めは21日朝に解除され、島周回道路も開通していた。

 しかし、一歩視察に出て見ると、都道には拳(こぶし)大の噴石が散乱し、アスファルトの至る所にタイヤが嵌まるほどの陥没があった。周辺の樹木は泥流で薙ぎ倒され、コンクリートの電柱が折れ、噴石で窓ガラスを割られた車が多く目についた。島内を歩くだけで足元から粉塵が立ち上ぼる。灰に覆われた牧草地では71頭の乳牛のうち15頭以上が死に、25頭が連れ帰れないでいる。長崎原爆後の被災地もかくやと思えるほどの地獄絵図だ。逃げ場を失ったアブラ蝉がジージーと焼きつくように泣いていたのが印象的だった。

 大量の降灰に見舞われた同島からは19日の東海汽船第1便で伊ケ谷地区などの住民 144人が『もう我慢できない』『雨が降って泥流がきたら終り』と離島、首都圏へ脱出した。現在の離島者は約2千人を超えた。三宅村長によると、水不足が深刻なうえ、灰をつめる土のう袋が足らず15万枚を都や業者に発注したという。雄山の第1回噴火は7月8日だが、降灰した1部地域に土のう袋を配ったためすぐ数が足りなくなった。身を守るヘルメットや防塵マスクも足りず、メーカーから防塵マスク3800枚の寄付を仰いで各家庭に配布した。(9月1日現在、三宅村長は防災関係者を除くすべての住民に、避難を指示する行政命令を出した。9月2日以 降、4日まで3日間のうちに避難するよう求めている。)

 陸上自衛隊第1師団は、石原慎太郎都知事から災害派遣の要請を受け、輸送艦2隻を島北部の沖合に派遣、21日午前7時から隊員 330人とトラックなど30台の車両を上陸させ、午後から伊ケ谷、阿古、坪田の3地区にある4つの沢で泥流防止の火山灰取り除き作業を開始した。台風の本格的襲来を前に、自衛隊の骨折りで泥流災害の危険もある程度予防出来るだろう。都知事の行動は素早かったし、防災行政無線も住民に役立っていた。

 衆院災害調査団が帰京した後の24日夜、三宅村教育委員会は党内6つの村立小中学校で9月1日から始まる2学期を延期し、全児童・生徒を島外に避難させることを決めた。火山噴火予知連絡会の1人が『二千数百年に1度の噴火活動。未知の世界だ』と漏らすほど、三宅島はなおも危険な状態にあるからだ。ほかに視察した神津島、新島も同様である。

 冷戦構造崩壊後、自衛隊には災害復旧の役割が大きく期待されている。衆院の内閣、安保対策、災害特別の3委員会に所属したが、3委員会はいずれも安保・自衛隊絡み。3委員会で活躍する舞台を得たことを光栄に思い、調査報告を皆さんにお届けした次第。

 三宅島は私が秘書として仕えた故・白浜仁吉代議士(元郵政相)のゆかりの地。白浜先生は水産、建設、郵政行政の権威者で、離島振興法を手掛けた全国島嶼住民の父的存在。五島列島ばかりか『三宅に先生の別荘を建てて下さい』と土地の寄進を受けたほど、三宅島民には感謝された人。計らずも国政調査の第1弾で、恩師の足跡を垣間見る機会を得たことは、白浜先生とのご縁を深く感じざるを得ない。恩師に負けずに頑張りたい。


   3.北村の政治活動(8月29日=第1回)


 9月初旬、訪欧へ

 衆議院の「北欧各国政治経済事情等調査議員団」に参加し、9月2日から同15日までイギリス、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、イタリアの5ケ国を訪問する。

 秋の臨時国会召集前の慌ただしい日程だが、メンバーは各党国会対策委員会の副委員長クラス約10人。政経2班に分かれての視察だが、真の狙いは円満な国会運営を願っての和気藹々、呉越同舟の旅である。ローマでは13日に法王のヨハネ・パウロ・二世に謁見する。

 ちなみに今年は総選挙直後でもあり、臨時国会までの“夏休み”期間を利用し、衆院では「世界議長会議」に出席する綿貫民輔議長の米国、ブルガリア、ギリシャ、英国訪問を筆頭に15グループ、約 100人が欧米各国を歴訪、参院も9グループ、約50人が外遊中だ。

 日程は次の通り。 *9月2日午前11時20分成田発の全日空機でロンドンに向け出発。英国、デンマーク滞在。*9月5日午後7時25分コペンハーゲン発のスカンジナビヤ航空機でスウェーデン到着。*9月8日午後3時45分ストックホルム発の同機でミュンヘン着。ドイツ、イタリア滞在。*9月14日午後5時25分ローマ発のエアバスでミラノ着。日航機へ乗り換え同9時帰国へ。*9月15日午後3時35分成田着。

 9月末に臨時国会

 秋の臨時国会は外遊から帰国する1週間後の9月22日ごろ召集される。会期は11月末までの約2ケ月間で、景気対策はもとより、少年法改正案、「斡旋(あっせん)利得罪」創設法案、警察法改正案などで与野党が火花を散らす。所属する衆院内閣、安保対策両委員会では、中国の海洋調査船や海軍艦艇が、日本の排他的経済水域(EEZ)での航行を活発化させていることが論議を呼びそうだ。

 8月26日の朝日社説は、(1)中国海軍の氷砕艦兼情報収集艦は、対馬海峡から日本海上を北上して津軽海峡を横断、さらに房総沖を経て鹿児島の大隅海峡を通過する日本一周コースをたどる(2)「国際海峡」通過は国際法上直ちに問題ないが、過去に例を見ない中国艦船の行動だ(3)海上自衛隊や軍事専門家筋は、一連の行動が潜水艦による作戦行動に備えた、水深や海底地形などのデータ集積に主目的があると見ているーーなどの点を挙げ、『日中の信頼関係を損なう不誠実な対応』と、きめつけている。

 衆院安保委では、日本から巨額の特別円借款供与を受ける一方で、国防費増強を続けている中国の真意などについて、訪中を終えて帰国する河野洋平外相に質すことになろう。