第320回(8月9日)農水業改革の課題(5)権威の米審、形骸化進む
自民、JA全中廃止を事実上容認
政権奪還後の安倍首相は、第1次内閣で掲げた1908年からの生産調整(減反)廃止を10年遅れの18年から実施すると表明したが、役者は安倍、石破、麻生の3氏に変わりない。JAから中央会機能存続の意向が強く出されたため、自民党はJA全中の廃止を事実上容認した上で、①税制の優遇措置などは受けられる農協法上の「連合会」や一般社団法人など、別の組織体を作る②新組織には一定の指導権限を残す――など農協改革の妥協案を提示、攻防は秋に移った。高木氏の「時代の証言録」はいずれ出版されようが、無断で事前に「自戒の証言」をお借りして勝手に時系列的に並べ替え、農政の歴史を回顧して見よう。高木氏は「池田内閣の所得倍増計画は7年で達成され、68年に日本のGDP(国民総生産)は世界第2位に躍り出、農村では都市部との所得格差が拡大して人口流出、財界は『農業に税金を投じるのは非効率。食料は経済で稼いだ金で外国から買えばよし』との意見が公然と出た」と、まず指摘した。国の根本は教育と国防、食料だが、確かに、65年当時にカロリーペースで73%あった食料自給率は01年に40%まで落ち、農家の平均年齢は65歳を超え、550万㌶あった農地も459万㌶と100万㌶近く減って工業用地や住宅地に変わり、耕作放棄地も滋賀県の広さの40万㌶になっている。

2度の余剰米処理に3兆円使う
高木氏は次に、「戦後の食糧難時代に干拓事業も各地で進んだが、69年に新規開田の抑制方針を打ち出した。コメ消費量は63年をピークに減り続け、66年には需要と生産量が逆転した。学校給食でパンに親しみ共働きで忙しい若い世帯が増える中、食生活は確実に変化した。70年代に入ってから2度に渡った余剰米処理は計1340万トンに及び、当時のカネで3兆円が使われた」と農政の歩みを示し、「乱費する恐怖の体験は大蔵、農水両省の呪縛となり、余剰米を避けるためには多少の奨励金を払っても減反は続けなければと、疑問に感じても、誰も減反を止めることができなくなっていった」と回顧している。77年秋、栃木の翌年の減反面積は2・9倍の1万4560ヘクタール。北海道に次ぐ全国2番目の多さ。78年に農相就任の渡辺美智雄氏(82年蔵相)は規模拡大によるコストダウンで強い農業を作ろうとする「総合農政派」の論客だったと高木氏は言う。渡辺氏の出身地・栃木県は小規模農家を温存する減反とは基本的に矛盾する。高木氏は「どんなにまずくても買ってもらえる政府米と違い,闇米は美味しいから、どんどん売れる。大消費地に近いうえ、平坦な土地が多い栃木ではヤミ開田が増えるのは当然といえる。当時の栃木県農政課主査には現在、自民党の『農業委・農業生産法人検討プロジェクト(PT)』座長の西川公也TPP対策委員長がいた」と説明する。その西川氏は「我々農林族と官僚だけでなく、農協も農業を悪くした」と栃木選挙区で広言して怯まず、「改革を進めれば反発は必ず出るが、農業を強くするには仕方ない」と減反廃止に積極的である一方、TPP交渉の裏方を立派に務めている。

鈴木内閣は3Kを行革の柱に
  農水省の最大イベントは生産者米価を決める夏の米価審議会で1949年に発足した。「政治米価」を決定するもっとも権威ある諮問機関だったが、ある時期から形骸化した。生産者米価は80年代半ばまで、ほぼ一貫して上がった。戦後急拡大した都市住民と農家の所得格差を埋める名目だが、食管赤字は毎年5千~7千億円に上っていた。政府が米価抑制に舵を切っても、農協と農林議員が激しく抵抗。各党の利害対立が原因で議論が進まなかった。さらに、高木氏の「証言」を借りると、82年は狂騒に明け暮れた年。「増税なき財政再建」を掲げる鈴木善幸内閣は行革の柱を「3K(コメ、国鉄、健康保険)解消」に据え、米審への諮問は米価据え置きで望む方針だった。コメ,砂糖、牛乳は「シロモノ3」と呼ばれ、米審はむしろ旗を立て3千人も動員した生産者が米審の入り口に陣取り、審議の合間には農相と生産者が話す「青空団交」もあり、卵をぶっつけられた農相もいた。同年7月には委員が辞表をたたきつけて退席。官邸で政府と自民党コメ議員(べトコン)の折衝が始まった。

政治折衝は票田に見せる儀式
高木氏によると、政府と党は「今後は構造改革を進め、規模拡大によって生産性向上を図る」との合意文書を交わすのが習わし。米審のやり取りも「予定調和」で、コメ農家は「公務員農家」と揶揄され、政治折衝は票田に見せるために繰り広げる儀式だった。翌年から政治折衝は閣僚不参加で、食量庁長官ら官僚と党農林部会幹部との間で行うよう“格下げ”された。自主流通米が徐々に増える中、農家や農業団体の政府米価に対する関心が減った側面もあり政治的価値が下がって幕を閉じた。60年以降、政府米の米価算定には「生産者・所得補償方式」が採用され、計算式には農薬や肥料代、都市部のサラリーマン賃金に換算した労賃などの要素を入れてはじき出した。これだと会社の規模によって労賃が違うように、計算式に入れる数字で米価を自在に操れる。ゆえに政治が介入しやすい「逆算米価」と皮肉られた。コメの価格は米国の8倍とされ、米の市場開放要求などがきっかけで87年には生産者米価を31年ぶりに引き下げた。計算式に導入を試みたのは、生産費の基準を「1・5ヘクタール以上の農家」に固定する方式。大規模農家の方に経営効率がいい。  (以下次号)

今回から都合により、不定期の更新になりますことをお断り申し上げます。