第269回(6月15日)諫早干拓を糺す(下)一方的開門判決押し付け

<4月18日の衆院農水委員会における北村の質疑応答3回目>
  護床工事でも漁業被害解消せず
北村 アセスの準備書では、いずれの開門方法であっても、程度の差はあれ、漁業生産の影響、被害が出るとなっているが、何も有効な対策は示されていない。どう認識するか。

筒井副大臣 ケース3の2(制限開門)も漁業被害をなくし、減少するのに役立つと考え、訴えている。ケース1とか2とか、全面開門になると、非常に大きな洗堀や濁りが生じたりして、大規模な護床工事をしなければならない。ケース3の2だと、諫早湾内の流速が少し上昇する程度であって、漁業被害が生じない方法を取っているところだ。

北村 アセスの準備書では、副大臣が言う護床工事、さらに初期の排水門操作方法によっても濁りを抑えることはできず、漁業被害は回避できない。現在はアセスメント手続きの途中だから、近く重大な日々がくると予想される。万全な事前対策もないまま国は一方的に開門義務を負ったということで、地元の意向や意見を無視して開門準備を進めている。地元に対する冒涜であり、「誠意を持って取り組む」という言葉と行動が全く伴わず、決して許されるものではない。地元は一体となって抗議を続けている。準備を止めるべきだ。

開門棄却判決を堅持すべきだ
筒井副大臣 防災上、農業上、漁業上の被害が生じないための事前準備、そういう工事が必要である上に、来年12月までに開門しなければ判決の義務に違反する。それは国として絶対起こしてはならないことだ。事前準備・工事と長崎県の皆さんの理解を得るための色々な努力を並行してやらざるを得ない。客観情勢からご理解頂けることと思っている。

北村 そう簡単に理解できない。地元の皆さんは国を信頼し、完成した諫早干拓事業の効果をまさに互いに受益し、事業効果を高く評価し、感謝もしている。また、福岡高裁の判決が出た後に、長崎地裁では、諫早干拓事業の公共性が認められ、開門棄却の裁判結果が出されている。にもかかわらず、国が一方的に開門判決を盾に、開門を押し付けてくる。これこそ苦渋以外の何物でもない。開門差し止め訴訟に踏み切らざるを得なかった地元住民の心情をまっすぐに受け止めれば、国も共々にと考える。

鹿野農水相 諫早湾干拓事業は防災上、営農上、漁業上、しっかりした対策を講じていかねばならないと考えている。昨年6月、長崎地裁では全面開門を求める原告に対し、全面開門は棄却して上で損害賠償を認める判決が示され、現在、福岡高裁で係争中だ。一方、平成22年12月の福岡高裁判決で25年12月までに開門義務を負うことが確定している。何遍も同じ繰り返しで恐縮だが、誠心誠意話し合いをさせて頂き、義務を履行したい。

混乱招いた菅氏の参考人招致を
北村 誠実な答弁を頂き、今後も国民と地域活性化のために行政に当たって頂けると信じている。それでも長崎県知事、県議会、地元関係者、県選出国会議員が打ち揃って首相官邸にお邪魔した日のことを忘れない。菅総理の上告をしないという決定は、必ずしも、それほど重い事柄ではないと考えていたのか、閣議は開かれず、閣議決定どころか閣議了解があったことも寡聞にして聞いていない。上告する、しないは総理が決めたことのようだ。 総理大臣は内閣を組織し、内閣は連帯して国民に責任を追う義務がある。さらに、総理大臣は行政府の公務員の仕事をする際の最高責任者だ。総理が閣議も開かず、十分に関係閣僚等の知見、見解も忖度せず、上告しないという結論を導いたことが今の非常な混乱を招いた。納得がいかない。菅直人氏を当委員会に参考人として招致するよう諮ってほしい。

吉田委員長 了解。理事会で諮ります。

以上が4月18日の衆院農水委員会で行った私の質疑内容の抜粋である。皆さんのご理解を得るために、読売が2010年12月23日に載せた諫早湾干拓事業の経過を要約する。

                  <諫早湾干拓事業の経過>
1952年 西岡竹次郎長崎県知事が「長崎大干拓構想を」を発表。57年7月 諫早大水害発生し死者・不明者計630人。70年 漁業者の反対や農業政策の転換により「長崎南部地域総合開発事業」に衣替え。83年 防災総合干拓として規模縮小。86年12月 諫早湾干拓事業の計画決定。89年11月 起工式。97年4月 293枚の鋼板が落とされ、「ギロチン」の潮受け堤防締め切り。2000年12月有明海で養殖ノリの色落ち被害が表面化。01年12月 農水省の調査検討委が開門調査を提言。03年11月 農水省が短期開門調査で「締め切りによる有明海全体への影響はほとんどない」と結論。04年5月 亀井善之農相が中長期開門調査の実施見送りを表明。8月 佐賀地裁が工事差し止めを命じる仮処分決定し、工事が中断。05年5月 福岡高裁が工事差し止め仮処分決定を取り消し工事再開。07年11月 完工式。08年4月 干拓農地で農業開始。6月 佐賀地裁が国に5年間の排水門開門を命じる判決。7月 国が佐賀地裁判決を不服として控訴、環境影響評価の実施を表明。09年8月 民主党政権誕生。10年4月 政府・与党の諫早湾干拓事業検討委員会が「開門調査が適当」との報告書を農相に提出。6月 菅内閣が発足。12月 福岡高裁が国に排水門の5年間開門を命じる判決、国は上告を断念。
                                                          
                                                        (完)