第242回(5月1日)論議呼ぶ「分都、遷都、展都、道州制」(1)
 東日本大震災を契機に分都、遷都、展都、連邦論が活発化してきた。阪神大震災後に首都機能移転が論議されてほぼ20年ぶりの再燃である。主張しているのは堺屋太一、荻原博子氏ら経済評論家たち。宮城県の村井嘉浩知事は国と宮城・岩手・福島3県で作る「大震災復興広域機構」や規制緩和、税制優遇で企業誘致を狙う「東日本復興特区」などを提唱。水産業の国有化など漁業を基幹産業とし被災地連邦に発展させるか。青森、山形、秋田を加えた東北6県を州とし道州制のパイロットとするか。首都機能や経産・農水省など行政中枢の移転と国会の短期間移転など構想は様々。大正時代の関東大震災後に後藤新平内相が帝都復興院総裁を兼務し首都改造の大風呂敷を広げたように、単なる災害復旧ではなく、新産業モデル都市を建設、東京への一極集中是正と景気回復の拠点とする発想だ。東日本大震災で壊滅した東北の復興には福島原発の被害を含め25~30兆円規模の公共投資が必要。復興事業増大に伴い、列島全体の内需拡大が見込まれる。阪神大震災後の首都機能移転論議では仙台南部地域が真っ先に手を挙げた。今回も有力な候補地だが、展都、連邦論が具体化すれば、北関東、東海など各地でも激しい誘致合戦が展開されよう。大震災の度に繰り返される遷都、展都、道州制の論議だが、これまでの首都移転論を検証して見よう。

国会等移転調査会が報告書
 首都機能移転論は阪神・淡路大震災を教訓に勢いを増し、国会等移転調査会(会長・宇野収関西経済連相談役)が1995年(平成7年)12月、最終報告書を村山富一首相に提出した時から脚光を浴びてきた。報告書は候補地の条件として「東京から60~300キロ圏内で、JR山手線内側の1・5倍に当たる9千ヘクタールの広大な土地が必要」など9項目を提言した。この報告書通りなら、地方分権、行政改革、東京の一極集中是正に向けた21世紀最大の国家プロジェクトが動き出すはずだった。だが、総論賛成、各論反対の渦が巻いた。阪神・淡路大震災復興委員会のメンバーを務めた堺屋太一氏は遷都論者だったが、当時の青島幸男都知事や大場啓二世田谷区長(特別区長会長)ら都関係者は遷都反対派。首都機能分散を求める埼玉、千葉、神奈川などの自治体は展都派で、地方分権を唱えた平松守彦前大分県知事らは連邦制の推進派だった。そして不況風が吹きつのる中でゼネコンや土地ブローカーは遷都に熱いまなざしを向けていた。

国会百周年に首都移転を論議
 もっとも、首都機能移転は77年に決まった第3次全国総合開発計画で浮上。その後の地価高騰で注目され、本格的に論議されたのは国会百周年に当たる90年11月に国会で「国会等の移転に関する決議」が採択されてからだ。92年末には「国会等の移転に関する法律」が成立して首都移転の方針が定まり、93年3月には「国会等移転調査会」(宇野会長)が設置された。これに呼応して社会経済生産性本部は95年2月、財界や学識経験者による「新首都建設推進協議会」(新都フォーラム・堺屋太一会長)を設置、シンポジュウムを開催した。経団連も同年5月の総会で「首都移転の実現」を決議している。国会等移転調査会が過去2回に出した中間報告では国会、司法、行政すべての中枢機能を一括移転する遷都構想が発表された。建設の段取りは、まず国会と中央省庁の政策、企画部門などの機能を移し、約2千ヘクタールの敷地に人口約10万人の「国会都市」を作る。続いてその周辺に居住地区や業務・商業地区など3万~10万人の小都市群をブドウの房状に段階的に建設。最終的には総人口約60万人(面積約9千ヘクタール)の緑豊かな都市を建設、国際会議場や博物館なども設置する。費用は14兆円を計上している。                                                       (以下次号)